20170906・151号【ゲリラにとっての武器3ー飛耳長目・謙虚・美文】

平成29年9月6日 Street&Book Smart151号

【ゲリラにとっての武器3ー飛耳長目・謙虚・美文】

    合田啓作(ごうだけいさく)             ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
<配信開始から430日以上に渡って継続中の

Street & Book Smart& Highlight(ハイライト)>

1.『松下村塾』

古川薫氏著・引用

2.【ゲリラにとっての武器3ー飛耳長目・謙虚・美文】

今回のメルマガは上記のような構成です。
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■今日は朝から授業×6。

最近、久々に「量稽古」の日々を送っておます(笑)

■合間に読書。

山口県下関市出身の小説家、古川薫氏。

私(合田)は母方の実家が下関だったので、

子どものときから下関には愛着がありました。

古川氏は幕末維新期の長州藩関連の著作を

大量に出されている方なのですが、

「ゲリラ」を挙げるとき、

吉田松陰・松下村塾を外すわけにはいかんだろう、

という結論に達しました(笑)

以下、一部引用します。

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1.『松下村塾』

古川薫氏著・引用

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□「適塾(大阪)は30年間、

咸宜園(大分)は60年間に

それぞれ3000人という人々を教え、

その中からひとにぎりの英才を世に送り出した。

吉田松蔭の松下村塾は、教育期間わずか1年である。

あらたまった塾生名簿はないので

正確な数はつかめないが、

100人を上まわることはなく、

ごく小範囲の人々を対象とした私塾であり、

例外として広島からの1人を除いて、

あとは萩城下とそれに隣接する松本村の若者たちだけが集まった。」

□「月謝は無料という風変わりな塾だったし、

学力はまちまちで三々五々といった

少人数に分かれての受講であり、

一貫したカリキュラムによる講座があったとも思えない。

つまり松下村塾は知識の量を競う学塾ではなかったのである。」

□「松下村塾は、有名塾に秀才が集まったというものではなかった。

長州という辺境に伏流する地下水を

汲み上げることから始まった土着の教室である。

開塾にあたって、松蔭は「一邑を奮発震動せん」と述べ、

さらに

「萩城のまさに大いに顕れんとするや、

それ必ず松下の邑より始まらんか」と、

「天下を奮発震動」させる人材が

松下村塾から輩出するであろうことを予言した。」

□「来る者は拒まず、去る者は追わずという松下村塾には、

士庶の別を問わず入塾を許した。

藩士・足軽・中間・僧侶・商人と身分はいろいろで、

町の無頼少年もやってきた。

年齢も12歳から40歳を超えた者までいたが、

やはり10代、20代が中心だった。」

□「「吉田松蔭先生は、

言語甚だ丁寧にして、

村塾に出入りする門人の内、

年長けたるものに対しては

大抵『あなた』といはれ、

余等如き年少に対しては

『おまへ』などいはれたり」」

□「松蔭は伊藤利助(伊藤博文)について、

「中々周旋家になりそうな」と、予言した。

伊藤はやがて初代内閣総理大臣となるのである。

松蔭はその人間を観察し、長所をしきりに褒めて

それを伸ばすことに気をもちいた。

ある意味のアジテーターでもあった。」

□「松下村塾の学習は、

講釈・会読・順読・討論・対読・看書・対策・私業

に分類される。

「講釈」は松蔭の講義である。

「会読」は「大学会」「孟子会」というように、

教科書の内容によってグループが分かれる。

「順読」は「輪講」ともいう。

塾生が順番に講義をして質問に答える演習である。

「対読」は松蔭と塾生、

読書力のある先輩と弟弟子が、

机をへだて一対一で向かいあって読む個人教授。

「看書」は自習。

「対策」は塾生に課題を与えて答案を書かせ、

松蔭が批評し添削する。

作文指導の一種だが、

これによって人物の個性が観察でき、

それに応じて指導する重要な科目である。

「私業」は任意の読書で、

読了後に皆の前で所感を述べ、批評を受ける。

この中で松蔭が力を入れたのは、

会読・討論・対読・対策・私業だった。」

□「「耳を飛ばし目を長くして、

できるだけ多くの情報を入手し、

将来への見通し、

行動計画を立てなければならない」と、

松蔭は塾生たちに情報の必要性を説いた。

松蔭自身、自由なころはよく旅行している。

通信機関の未発達なこの時代、

山陰の一隅に座っていたのでは、

情報は得られない。

自分で出かけて集めるしかなかったのである。

時勢の動きを把握し、

行動を決定するために必要な情報収集は、

切実な課題だった。」

□「間部詮勝暗殺計画の挫折を機に、

松蔭の知友の多くが絶好を宣言し、

それにつられたように

ほとんどの塾生の心は松蔭から離れてしまった。

これ以上ついては行けないと、

はっきり意思表示した者もいる。」

□「私は30歳、四季はすでに備わっており、

花を咲かせ、実をつけているはずである。

それが単なるモミガラなのか、

成熟した粟の実であるのかは

私の知るところではない。

もし同士の諸君の中に、

私のささやかな真心を憐れみ、

それを受け継いでやろうという人がいるなら、

それはまかれた種子が絶えずに、

穀物が年々実っていくのと同じで、

収穫のあった年に恥じないことになろう。

同士よ、このことをよく考えてほしい。

(留魂録・古川薫氏訳)」

『松下村塾』

古川薫氏著・引用

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■それでは、

「今日のStreet & Book Smart; Highlight(ハイライト) 」
(教育やビジネスにおいて、最高の結果を発揮するための重要ポイント)

 をどうぞ。

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2.【ゲリラにとっての武器3ー飛耳長目・謙虚・美文】

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■私(合田)は、

吉田松陰の「武士的」な部分、

言い換えれば、

▲大和魂を唱えたり

▲名や義を惜しむ

部分には、正直共感できません(汗)

■ただ、それらを差し引いても余りあるレベルで、

吉田松陰氏の「感化力」はハンパないはずなので、

改めて「松下村塾」について調べてみました。

■意外や意外、

▲たった1年間しか開講されておらず

▲試験・競争もなく

▲月謝もとらない

という、

「塾」というよりも、

「松陰劇場」だったのではないか?

と思うような、特殊性に溢れていました(笑)

■いまでは当たり前のように街にある、

「塾」の語源についても以下のような記述がありました。

「本来「塾」という名称はどこからきたものか

といえば、

これは中国からだとされている。

古くこの国では一族が塀をめぐらし、

房舎を集めて生活した。

門の左右にある堂舎が塾と呼ばれた。

そこは門内の児童の集会所となり、

一族の長老が子どもたちを指導監督した。

ここから塾は学舎の意味をもつようになったという。

わが国で私設の学舎が塾と呼ぶようになったのは、

江戸中期からだろうと言われている。

そうした私塾と区別するために、

藩校は明倫館、日新館、敬業館など

「館」と名付けられた。」

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■一昨日、

見城徹氏の言葉を引用したときに、

1オリジナリティがあること

2明解であること

3極端であること

4癒着があること

をご紹介しましたが、

吉田松蔭自身にこの4ポイントが備わっていた可能性が高く、

「あこがれとあこがれ伝染力」が強烈にあったのでは?

と私(合田)は密かに考えている、

と書きました。

■検証できる範囲で確認したところ、

1オリジナリティがあること=私塾だが月謝なし・テストなし・身分差別なし

2明解であること=実学重視・情報重視(飛耳長目)

3極端であること=直接行動派 例)渡米直談判失敗・間部詮勝暗殺計画

とあり、

とくに1と3が極度に尖りまくっていて、

一方で、2については極めて現実的、

オーソドックスな印象を持ちました。

強いて弱みかと私(合田)が感じたのが、

「4癒着があること」

の部分で、

▲月謝をとらないこと

▲1年間しか開講されなかったこと

▲藩に度々直訴するも、それが敵を作る結果になったこと

からもわかるように、

かなり「組織化」が苦手だったのではないか

と感じました。

■教育者に限らず、

人を育てる「場」作りがうまい人には、

主に2種類いる気がします。

1教えない。ただし、本人がただならぬエネルギーを放っており、

周囲を圧倒・感化することで、周囲が勝手に育つタイプ

2教える。ただし、本人がどこか「天然」的な雰囲気を醸し出しており、

「ヌケ」「可笑しみ」と「ズバ抜けたところ」の両方をあわせもっており、

周囲が放っておけずに近寄ってくるタイプ

です。

■吉田松陰は、間違いなく1のタイプの人であると、

私(合田)の中では確定しました(笑)

だって、塾をやっているのに、

暗殺計画とかで牢獄に入れられたりするんですよ(笑)?

実際、イメージとは違って、

暗殺事件の際は高杉晋作や久坂玄瑞なども、

師匠に相当ドン引きしていたみたいです(汗)

■ただ、そうした紆余曲折がありながらも、

なぜ、あれだけ錚々たる人物が育ったのか?

■私(合田)の仮説として、

▲飛耳長目・新しい情報へのアンテナ感度

▲日々の謙虚で潔白な態度・物腰(の記憶)

▲切々と、ときに痛烈に綴られる美文

という3つが、絶妙な形でバランスしていたからではないか?

と考えており、

この3つは、

現代に生きる私(合田)もすぐに取り入れられるし、

何も持たないゲリラにとっても必要不可欠なのではないでしょうか?

☆今回の関連バックナンバーはこちら

149号【ゲリラにとっての武器1ーオリジナリティ・明解・極端・癒着】

150号【ゲリラにとっての武器2ーあこがれを伝染させる】

2 【ゲリラにとっての武器3ー飛耳長目・謙虚・美文】

・サマリー

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━

【Street & Book Smart Summary】┃
┃                 ┃
┃■吉田松陰から学んだゲリラの武器は┃
┃                 ┃
┃▲飛耳長目            ┃
┃                 ┃
┃=新しい情報へのアンテナ感度   ┃
┃                 ┃
┃▲日々の謙虚で潔白な態度・物腰  ┃
┃                 ┃
┃=そしてそれが人々の記憶に残る  ┃
┃                 ┃
┃▲切々と、痛烈に綴られる美文   ┃
┃                 ┃
┃=これが何ども見返され、     ┃
┃                 ┃
┃伝説を増幅していく        ┃
┃                 ┃
┃という武器である         ┃
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